なんでも批評空間 素晴らしき日々~不連続存在~

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素晴らしき日々~不連続存在~

素晴らしき日々





タイプ:テーマモノ展開モノ

テーマ:「『論理哲学論考』の基本概念」

評価:☆☆☆☆










①概要


2010年発表。ケロQ製作。

ケロQのデビュー作「終ノ空」のリメイク的作品。萌えゲーアワード2010シナリオ賞部門金賞受賞。

ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」の思想をベースにしたストーリーで、特に「世界の限界」の概念が物語の核となる。

(「論考」についてはこちら。)








主人公・水上由岐は、偶然出会った同じ高校に通う女子高生・高島ざくろに、街中でいきなりキスをされる。呆然とする由岐に対し、ざくろは言う。

「これからすごい事が起きますからね…」
「それでも、世界は私が守りますから。」

翌日、由岐が学校に来てみると、教室の中はある噂で持ちきりになっていた。

“高島ざくろが自殺した”

その日を境に、由岐の日常は少しずつ狂い始める。
世界滅亡の予言、死んだはずのざくろからのメール、そして由岐を追う謎の黒い影…。

「世界の終わり=終ノ空」で由岐を待っているのは何なのか?















②「論考」との関係性


序章 Down the Rabbit-Hole


由岐とざくろ、若槻姉妹が「世界そのものの少女」と「空の少女」が出会う場所を探すことになるが、ざくろによって、由岐がやがて世界の正体に気付いていく、という物語。


初めは由岐は若槻姉妹と平穏な生活を送る。そこへざくろがやってきて、3人は「世界少女と空の少女が出会う場所」を探すざくろを手伝うことになる。由岐は「なぜかそうしなければならないような気がした」。


しかしそれは口先だけで、実際はその場所を探しもせず、4人でドタバタ騒ぎの楽しく幸福な日々を送る。



そんなある日、由岐はざくろと遊園地へ行く。2人が入ったのは幽霊部屋「終ノ空」。

そこは誰も人がいない日常空間を、客自身が幽霊の役となってゴンドラで進んでいくという変わったアトラクションだった。そしてゴンドラは最後に不気味なほど透き通った青い空の下に辿り着く。

由岐の解釈は「いるはずの場所での人の不在、いないはずの場所に立つ幽霊の私たち。そんな奇妙な関係がこの空の下でずっと続く」、というもの。


幽霊部屋「終ノ空」において、「いるはずの場所での人の不在」は、「独我論」の象徴。

「いないはずの場所に立つ幽霊の私たち」は、「世界に属さない主体」の象徴。

そして「青い空」は、「世界の限界」の象徴である。


また、後にざくろが語る認識論の関係で言えば、日常空間は「内なる世界」であり、青い空は「外なる世界」となる。




遊園地の翌朝、由岐はある異変に気付く。まるで幽霊部屋を再現するかのように、なぜかたった1日で、世界中から由岐以外の人間がみんな消えていなくなっていたのだ。


同時に由岐はある奇妙な感覚を覚える。「縮小していく世界、拡張していく言葉」。


学校の屋上でざくろを見つけ、彼女と会話をする由岐。ここでざくろは哲学の基本である認識論について語り始める。
(ここでのざくろのセリフは、Wikipediaの認識論のページと全く同じですねwどっちが先なんだかw)


また、彼女は同時に「器無き液体は、どこにも満たすことが出来ない」と言う。

(液体は器がなければ一定の形を保持できない、という意味。)


器=世界であり、液体=自我である。これは一般的な、現象主義的独我論(世界なしに自我だけが存在すること)の否定を表している。

(他の哲学書のように「論考」にも独我論が登場しますが、その内容は現象主義による普通の独我論ではなく、言語哲学的というかヴィトゲンシュタイン的とでも言うべきもので、この違いは結構重要です。なので、このセリフの有無はかなり大きい要素だったりします。)



やがて舞台を銀河鉄道に移しながらも、2人の対話は続く。ざくろとの対話を通じて、由岐は次第に世界の正体に気付いていく。

すなわち、「世界そのものの少女」=由岐であることに。


ここでは「空」=「世界の限界」であり、「世界少女と空の少女が出会う」とは、つまり世界の主体が世界の限界の存在に気付き、世界そのものの規定を始めることであった。


銀河鉄道の三次元から四次元への旅は、「事実の総体」から「論理空間」への移行を意味している。

(「事実の総体」=世界の中にある対象やそれらの間の関係性などの総体、という意味。「論理空間」=事実を含めたすべての可能性の総体であり、「論理空間の限界=世界の限界」となる。可能性は言葉で構成されるため、「世界は言葉で出来ている」という事になる。何言ってるか分からんという方はこちら。)



ざくろが来るまでは由岐にとって“世界は事実の総体”だったが、ざくろの導きによって世界の正体が言葉であることに気付き、「論理空間」を張ることで由岐は世界の再定義へと旅立っていった。


別れ際に、ざくろは最後に由岐に言う。




「この夢の世界であなたと過ごした時間は間違いなく、“素晴らしき日々”でした」




また分かりやすくするためにストーリー上は夢オチとなっているが、(沈黙すべき)哲学問題の存在にすら気付いていない状態のことを「夢の中」と呼んだのではないかと思う。






第1章 Down the Rabbit-Hole 2


再定義された世界で、由岐は一連の事件を追う内に犯人である間宮卓司を追い詰めるが、卓司は屋上から飛び降り自殺してしまう。同時に、由岐は屋上から血のように真っ赤に染まった不気味な空の上に、巨大な目玉のようなものが浮かんでいるのを見る。その近くでは、同じく不気味に笑う音無彩名がいた。


主体(=由岐)が世界の限界(=終ノ空)の向こう側に、世界の観測点(=巨大な目玉、すなわち世界に属さない主体)を見るという物語。


第1章の冒頭で表示される序文は、

“主体は世界に属さない。主体は世界の限界である。”
“世界の意義は世界の外になければならない。”


巨大な目玉は、「論考」の眼と視野の関係のくだりから来ている。






第2章 It's my own Invention


卓司の物語。ホラー超満載で、夜中に1人でやるとションベンちびること請け合い。
この章でより詳しくわかるのが、卓司が「世界の全てを経験し、全ての真理を得た」と言って、語り得ぬものを語ろうとしているということ。

このことから第1章ラストの謎が解ける。つまり彼は終ノ空へダイブし、世界の限界を超えようとしたが見事に失敗していたのだった。

それを見て彩名が笑う。「ただ卓司が飛び降りただけだ」と。





第3章 Looking-glass Insects


ざくろが自殺するまでの過程を描く物語。ストーリー展開的には意味があるが、「論考」との関連はあまりない。

(ハッピーエンドの方は多大なるネタバレなので、無い方が良かったと本気で思っています。)





第4章 Jabberwocky


「語り得ぬものを語ろうとする哲学者」である卓司を「沈黙」させるため、悠木皆守と由岐が戦いを挑むという物語。

副題「不連続存在」のストーリー的意味が明かされる。





第5章 Which Dreamed It


間宮羽咲の物語。これもストーリーのネタばらしであり、「論考」はほぼ関係なし。





第6章 Jabberwocky 2


前半では、間宮兄妹と由岐の過去が明かされる。星空の下で由岐は皆守に、エミリ・ディキンスンの詩から、神、死、祈り、永遠の相、そして幸福な生について語る。


後半では、卓司との戦いのその後が描かれる。由岐の助けもあって、皆守は卓司から肉体を完全に取り戻した。こうして語り得ぬものに沈黙することが出来た「間宮皆守」は、「幸福な生=素晴らしき日々」に辿り着いた。彼は自分が規定した「世界の限界」を、ジグソーパズルに例えて語る。





終章 終ノ空2


“物理学に反する事態は空間に描写出来るが、幾何学に反する事態は空間に描写出来ない。”

それが「語り得ぬもの」と理解した上で、あえて物理学を無視した言葉遊びを続けてみよう、という最後の物語。副題「不連続存在」のテーマ的意味がここで完結される。

語られる内容は遍在転生論。これは「論考」の“時間と空間の内にある謎の答えは、時間と空間の外にある”という命題から来ていると思われる。












③メインキャラ


1、水上由岐

テーマ的主人公。哲学的思考を担当する。時間軸的には最初に「素晴らしき日々」に辿り着く。第1章での彼女による事件の捜査は、「論考」的には世界の内側にある事実を1つずつ確認していく作業を表す。


2、間宮皆守

ストーリー的主人公。最終的に物語を解決する。「鏡の国のアリス」でのナンセンスの怪物「ジャバウォック」(=卓司)を退治する英雄と重ねて描かれる。客観的に見れば、この作品は彼1人が自分の脳内で語り得ぬものに沈黙するまでの物語である。


3、間宮卓司

「語り得ぬものを語ろうとする哲学者たち」の象徴。「論考」そのものである音無彩名を過剰に恐れる。「鏡の国のアリス」で(諸説あるが)言語や議論から生じたナンセンスの象徴とされる怪物「ジャバウォック」を二重に象徴するキャラでもある。持ち場である第2章で大暴走する。


4、音無彩名

ヴィトゲンシュタインの諸命題、つまり「論考」という本の内容そのものの象徴。物語上は「すべてを知っている」存在。世界の限界を超えることに失敗した卓司を見て嘲笑うシーンは特に象徴的であり、またこの時の不気味な笑みや彼女の神出鬼没さは「不思議の国のアリス」のチェシャ猫を連想させる。オールクリア後に彼女がストーリーテラー的なポジションとして登場するが、それはこの作品がまさにプレイヤーと「論考」との対話であった事を表す。


5、高島ざくろ

プレイヤーを「論考」の世界に導く役割をする(「不思議の国のアリス」における白うさぎ)。「論考」を物語として表現した今作において最も特殊で重要な存在意義を持つ。由岐に世界の正体を伝えた後、物語的には最初に「素晴らしき日々」に辿り着く。


6、橘希実香

個人的に役割が全く理解できなかった謎のキャラ。なぜ天秤を持っているのか?なぜ「語り得ぬものを語ろうとする哲学者」に最後まで付き添ったのか?多分「論考」とは別の何かから来ているとは思うんだけど…。












④感想

かなり複雑でよく出来たストーリーなので、テーマがわからなくても単純に展開モノとして楽しめるでしょう。ていうかテーマは「論考」を読んでないと絶対に全く理解できないと思います。そこが表現としての唯一の欠点ですね。

ただ「論考」の表現として理解出来た時の感動は何倍も大きいです。本当に素晴らしき作品です。

なんだかんだ言って、やっぱり「世界=言葉」という基本概念のストーリーであるプロローグが一番大好きです。幽霊部屋「終ノ空」から屋上での認識論、銀河鉄道、そして由岐が目覚めるまでのくだりは本当にずっと鳥肌立ちっぱなしでした。


ですが作品としての欠点として、「無駄なエンディングが多い」というのがあると思います。これはこの作品だけでなく他のストーリー系エロゲーにも言える事ですが、序章の若槻姉妹とのレズプレイエンド、第2章の希実香を抱きながら飛び下りるエンド、第3章のハッピーエンド、第6章の由岐が成仏しないエンドは個人的には無駄に感じました。これらは恐らく純粋なキャラ愛のために描かれたもので、いわゆる「萌え」が理解できる人には重要なのかもしれませんが、この作品が一番に何を表現したいのかに比べればやはり蛇足なのではないかと。

それらを「+αのオマケとして良い」と捉えるか「表現の方向性の統一感に欠ける」と捉えるかは人それぞれでどちらも正解だと思いますが、僕は後者です。


あと卓司と木村とBARのマスターにも声を付けるべきだったと思います。予算が足りなかったとしても、岩田さんとか女性脇役キャラの声をカットすれば出来たと思います。若槻姉妹なんかは特に声がない方が、実は存在しないキャラとしての伏線になって面白かったんじゃないかと思います(分かりやす過ぎるかな?)。


ちなみに、作品タイトルはヴィトゲンシュタインが死の直前に言った遺言である「私の人生は素晴らしい日々だったと伝えてくれ」から来ていると思われます。



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